PHILOSOPHY・考 続き   
 
 『もの』とは 欠けた円の 線部分にすぎない。線で囲われた内部には『場』(以後『小場』と記す)が存在する。この『小場』の状態が、 まわりの線の状態 =『もの』の状態を 決定すると思われる。
 
『小場』が乱れれば ⇒ 『もの(欠けた円の輪郭線)』が乱れ ⇒ たとえ一見、三角形を形成(調和)したように見えても、『場』に近づくと 乱れていることとなる。
この小場がみだれた状態の『もの』を見ると、エントロピーは増大しているように思える。 つまりは、『もの』としては、より崩壊の方向に向いていると言えるだろう。
 
より良い『もの』を創るには、まず『小場』を大切にしなければならない。『小場』とは何か。  
 例えば、修行を積んだ陶芸家のつくった壺と、私がつくった壺の違いは明らかである。
たとえ同じ土を使っていても、陶芸家は より良い『もの』をつくる。この違いは何か。
 
壺をつくるという意識において、陶芸家の 修行を始め今までの経験・意識・思い・土や道具との関わり 等の 広さ・深さ・長さにより、意識を通さずに『もの』を創ることが出来る境地に達する。
それぞれの道を極めることで『もの』に命を吹き込み・命が宿る。この域に到達した人を、古来『玄人(くろうと)』と呼ぶ。
 
光の三原色を混ぜると『白 or 透明』になり、色の三原色を混ぜると『黒』になる。光は『場』の世界、色は『浮き世(現世)』の世界である。
『浮き世(現世)』では、色(出来事・経験)を 闇雲に混ぜると 黒に近づくが、 ’腹を据え’ その道を極めて行くと、『黒』が『玄(くろ)』になる。
『玄』=『玄人』が さらに道を極めて行くと、『幽玄』と云う世界にたどり着く。
 
この「経験・意識・思い・材料や道具との関わりの広さ・深さ・長さ」の繰り返しが、『小場』に至る道なのだと思う。つまりは、「日常の思い・行い(鍛錬)」の蓄積が、『もの』の善し悪しを左右することになると思う。  
 
宮本武蔵は、鍛錬と云う言葉を「千日の業を鍛とし、万日の業を錬とす」
記している。千日は約3年、万日は約30年である。